25歳耳に違和感を感じて再考する、「サボる」について
今週のお題「サボる」
「サボる」とは、一見悪いことに感じる。
当たり前、と言えば当たり前で、というのも「サボる」とは本来やるべきことをせずに怠惰に、疎かに行動することを指すためだ。
しかし、それは果たして本当に悪いことなのだろうか。
今週のお題と筆者の一週間を振り返ると、
一概にそうとは言えないのではと思い、その理由について考えてみた。
今週、数年ぶりに耳鼻科に行った。
というのもその数日前から、左耳が籠ったような感覚があり、聞こえ方に違和感を感じていたからだ。
案の定、その違和感は聴力検査で形になって現れ、診断は左耳の低音が聞こえていないとのことだった。
メニエール病という聴覚障害の病気の初期段階に近いもの、という診断だった。
ここまで書くと少し大ごとのように感じるが、要因として考えることは
普段の生活におけるストレス、塩分摂取過多、運動不足など
ある種、耳のむくみのようなものですので、一週間薬を処方します、大方それで改善されると思います、とのことだった。
実際薬を飲み始めて数日で症状は軽くなり
今では以前と変わらない状態まで回復していると感じている。
ここからが本題なのだが
今回、このような聴覚障害を発症して思い当たる節はいくつかあり
普段の食生活の乱れなどもその一つなのだが、それ以上に仕事でのストレスを感じる場面がここ最近特に多かったと感じていた。
さまざまなプロジェクトを抱える中で、日々溜まっていたストレスが形として体に出できてしまったのではと、今振り返ると感じる。
そこで、やはり人間には休息すること、そして「サボる」ことが必要なのではと強く感じた。
筆者自身、完璧主義というか、計画通り物事を進めていきたいタイプで
ここ最近は特にうまくいかない場面が多々あり、ストレスを感じていた。
だが今回このように体に不調を感じて、必要以上に理想を追い求めて、自分で自分自身にプレッシャーをかけてストレスを感じることはやめようと思った。
仕事は1人ではできないし、誰かと一緒に成し遂げるものだ。
そこで自分の価値観や考え方を押し付けるのはもちろん、言葉に出さないにしろうちに秘めた考え方や理想を無理に追い過ぎてストレスを感じるのは避けないといけないと、今こうしてここ最近を振り返ると感じる。
そう、「サボる」とは一見怠惰な行動に思われるかもしれないが
それは実は自分自身を防衛し、結果的に何かを成し遂げるための最短ルートをたどっているだけではないかと感じている。
今回この数日、耳に違和感があった時期はうまく仕事も進められず、
結果的に「サボる」ことになってしまった。
この「サボり」は遠回りで、不必要で無意味な「サボり」だ。
そう、日々生活の中に「サボり」があれば、避けることができたのだ。
今なら一年前に辞めて行った同期が24歳の若さで去り際に放った言葉に納得することができる
「私の座右の名は健康第一、健康な体がなければいくら時間やお金があって自分の好きなことができる環境にあっても何もすることができない」
ありがとう元同期、今も元気に健康でやってるかなあ。